12月3日(日)「傷跡」

今日、お風呂で「あること」に驚いた。
そのあることとは、太ももにおおきな「青あざ」が残っていたからである。
これが何かの運命で、もしくは何かの暗号で、宇宙人が僕の体に植え付けたの
であれば、テレビドラマにでもなるだろうが、きっとそんなことはないだろう。

だが、理由が分からない。
午前中にやった草野球の時についたものなのか?
それとも、その後にいろいろ自転車に乗って移動したときについたものなのか?
もしかしたら、お風呂に入る直前についたのかもしれない。

でも、大きな事件があって、その理由・原因がわからないということは、非常に不安なものだ。
そんなたいしたことでもないのに、それだけで無性に不愉快になる。
それほど僕らは「事実と原因」がはっきりとさせなくちゃいけない社会に生きている。
そんなわけのわからないことを考えさせられた、わけのわからない一日だった。

12月20日(水)「熱烈なファンのために」

最近、忙しくて2週間以上、日記を更新していませんでした。
まあ、そんなんばっかりで、もう皆さんは慣れてしまったかもしれません。

ただ、ただです。
そんな僕の情けない期間にも、細かく僕の日記をチェックしてくれている人がいるんですね。
前に言ったかもしれないけれど、僕は「何人がどのページを見たか」というデータを取っています。
それは、よりよりページ運営を目指すことが第一の目標で。
そのデータをみると、いるんですね熱烈はファンが!!
(もちろん、この日記を読んで頂いているのでしょう)
以前に比べて、明らかに読者は減っているのですが、それでも毎日何件かは必ずアクセスが
あるんです。

そこで、私は誓います。
「書きますよ」
おそらく、かなりのハイペースで。
少なくとも過去にないペースで年内は書いていきたいと思っています。

さあ、期待するかどうかは、あなたのファン心理次第!!

12月21日(木)「コピー」

さあ、さっそくの更新ですよ。

今日は、一日中コピーをしていました。
何をコピーしていたかというと、いわゆる「卒論」の資料です。
えっ、この時期に資料集めをやっているようで大丈夫なの?
そんな質問には、一切お答えしません。あしからず。

でも、さすがに300枚も近くコピーすると疲れますね。
たぶん人生で最初で最後の枚数ですよ、1日300枚コピーするのは。
県立図書館の職員も「あいつ、何枚コピーするつもりなんだ?」という不思議そうな
目で私をみていましたよ。
ある雑誌の約20年間分(87冊)のうち、必要な分だけ300枚くらい。
読むだけでも大変なのに、コピーするんだからねぇ。
結局、3000円近くコピーしているわけだから、1冊の本を買ったようなものですよね。
それでも、「安い」と思いますよ。それで、卒業が買えるなら。
ただ、これ、著作権はどうなっているの?
まあ、研究に役立つんだったら、作者も本望か。

まあ、そんなこんなで随分と図書館に儲けさせてしまった一日でした。

12月23日「3位」

今日、草野球の試合があった。
おかげさまで無事に我がチームは勝ち進み、今日は準々決勝と準決勝のダブルヘッダーでした。
草野球で、しかもこんな季節(つい最近冬至を迎えたばかり)にダブルヘッダーをやりますか?

まあ、そんなことはいいとして、なんと、なんとですよ!!
弱小チームの私たちが、なんと準々決勝に勝ってしまったのですよ。
嬉しい!!これで来季は6部から5部に上がれることが決定しました。

でも、でも、です。
それに続いて行われた準決勝。つまり、決勝進出にかけた試合です。
負けました。しかも、けっこうあっさりと負けました。
悔しいです。僕は、悔しいです。
なんつったって3位ですよ。3位ほど悲しいことはないですよ。
だって、負けて大会を終えるわけですから。そんな、空しいことはありません。
もちろん、2位も辛いんだけど、やっぱり「決勝」って響きがいいじゃない。
「おれたち決勝戦に出たんだぁ」みたいな。
でも、3位は「決勝」にも出れない、でも「おめでとう」みないな微妙な感じが
ちょっとした空しさを漂わせます。

嬉しいけど、悲しい。そんな3位の僕でした。

12月24日(日)「クリスマス・イブ」

避けたいけど、避けられないネタ。
それが、今日12月24日の「クリスマス・イブ」です。
もともとは西洋のキリストに関するお祭りなんだろうけど、今や完全に「国民行事」
のひとつにひとつになってしまっていますよね。
別に西洋文化をすべて吸収する必要はないんですがね。

でも、ひとつ重大な疑問。
「どうして、クリスマス”イブ”祝うの?」
だって、そうでしょ。キリストの誕生日はクリスマスなわけでしょ。
それなのに、「イブ」を祝っちゃう。どうして、どうして?
子どもみたいな疑問ですけど、本当にどうしてなんでしょう?
誰か答えてくれぃぃぃぃぃ。
もちろん、サンタクロースはクリスマスイブの夜にやってきます。
でも、それはクリスマスの朝に目覚めて、そこで始めて喜びを噛みしめるものでしょ。
それなのに、いわばフライングで祝っちゃうなんてねぇ。

では、そんな何だかよくわからない日に、自宅のパソコンで。

12月25日(月)「クリスマス」

今日も、クリスマスの話です。

僕は去年までは、「クリスマス反対派」の総帥でした。
だって、バカみたいじゃないですか。
わけのわからない西洋のお祭りを輸入してきて、意味もなく楽しんじゃう。
その日ばかりは鶏肉をチキンと読んで、ケーキ業界はおお儲かり。
一年前からホテルを予約したカップルが、ここぞとばかりに愛を語る。
「僕は君のサンタクロースさ」なんて言ったりして(?)、愛の最終型へ!!!
う〜ん、かなしいくらいに空しいぜぇぇ。

だ・け・ど。
今年の僕は違います。
いってみれば「クリスマス大推進派」の大統領です。
あわよくば拒否権も使えます。
それは、ある玩具屋さんに就職が決まったからです。単純な奴です。
そりゃ、この季節。一年で一番儲かる季節ですもん。
会社人間ギャートルズな僕は、どんなかたくなな思想も捨てて、
クリスマス推進派に転向しました。すいませんねぇ。
じゃんじゃんばらばら、じゃんじゃんばらばら売りまくれ!!

というわけで、みなさん。クリスマスはプレゼントをいっぱい買いましょう。

12月26日(火)「寒さと風邪」

今晩は本当に冷え込んだ夜でした。
きっと寒気団が日本の上空に張り出してきているのでしょう。
先週の土曜日は、暖かかったのになぁ、3日くらいでこんなに寒くなるか?
このまんま、寒さが厳しくなっていったら、大寒の頃には、きっと零下30℃に
なってしまいますよ。
う〜ん、寒い。ネタも寒い。

あと、「風邪」について。
みなさんは気付いていると思いますけど、毎年「今年の風邪は辛いよ〜!!」って
言っていませんか?
あれおかしいですよ!
だって、毎年ごとに風邪が厳しくなっているわけではないでしょ。
だったら、「今年の風邪も辛いよ〜!!」っていわないと。
それとも、本当に風邪ウイルスは強化されているのかなぁ?
それだったら、誰か「どの年が一番強烈な風邪だったのか」を数値データで
解析してほしいなぁ。
「今年の風邪は、14年前の前の風邪ウイルス指数と同じです」なんて、気性予報士
でなく、風邪予報士なる奴が登場したりして。

まあ、そんなくだらないことはどうでもいいですね。

12月27日(木)「エキソシスト」

今日、映画をみた。
それは、今、話題の「エキソシスト−ディレクターズカット版−」だ。

う〜ん、わからない。
それが正直な感想だ。
だって、ストーリーがイマイチつかめない。
もちろん、何が「恐い」のかわからない。
だから、ホラー映画なのかどうかもわからない。
その理由が昔の映画だからなのか、僕の理解力がないだけなのか、それとも・・・
何がともあれ、「シックスセンス」の構成力には、とうていかなわないはずだ。
もちろん、面白かったんだけど、少し不満が残った。

12月29日(金)「自転車修理」

今日、自転車を直した。
というより、正確に言えば、直してもらった。

昨日、ある駅に自転車を置いておいて、帰ってきたらパンクしていた。
しぶしぶ僕は、15分くらい自転車をひいて、歩いて帰ってきました。
そんでもって、しようがないから、今日、自転車を直そうとした。
バルブをとって、チューブをはがして、常識どうりのことをやった。
そんでもって、穴を確認して、そこのバンソウコみたいなヤツをやった。
それで、またチューブをもどして、さあ走ろうとした瞬間、やってしまった。
プシュー!!うわぁぁぁ。
パンクを直したはずなのに、また自分でパンクをさせてしまったのです。
なんでやねん(関西弁)!!空しいです。

もう、僕は失意のあまり、なすすべのすべてをなくし、呆然としてしました。
「それなら、最初から自転車でなおしてもらえばよかった」
ちょっと頑張って自分で直そうとして、ちょっと焦ってやってしまったばっかりに
また同じミスを繰り返してしまった。
う〜ん、なんて馬鹿なヤツなんだ。

ちょっと、自己嫌悪気味の今日の僕でした。

12月31(日)「20世紀を越えて、21世紀を生きる」

さて、今日は大晦日。しかも、20世紀最後の大晦日。
そこで、この20世紀を振り返ってみたいと思います。
と、大袈裟にいってみたところの、僕にとっての20世紀なんて、
ほんのたった四半世紀あまりでしかないんですよね。
しかも、そのうちの最初の10年ぐらいは「記憶にございません」状態。
それなのに、僕は生意気にも20世紀を語ろうとしている。
その矛盾には、僕はどうしても耐えることができないんです。

だから、僕はまずは、こう考えました。
「20世紀」とは、僕にとってどんなものだったのか?
その質問の結論は「21世紀にならなきゃわからない」ということ。
どうですか、このひらき直りは!!
だって、そうでしょ。
僕にとっては、20世紀なんて、これからの21世紀を生きるための
土台というか鍛錬の時期というか、そんなもの過ぎないんですから。
でも、何事も土台が大事。その考えのもとに、それなり生きてきたつもりです。
だからこそ、僕の人生の中で最も楽しい時期に入る予想される21世紀になって、
始めて、その20世紀の自分の価値が分かるのではないか?

それは、このすべての社会にとっても同じです。
19世紀が20世紀への土台であったように、20世紀は、これから始まる「新しい」
世紀の土台であったとしか、言いようがないんですね。
というより、それ以外の表現のしようがない。
もちろん、そうであって欲しいし、そうであることを僕は望んでいます。

さあ、20世紀を越えて、21世紀を生きていきましょう。