2月4日(日)「うるう年」

今年も2月がやってきた。
2月といえば、うるう年。
こんな感覚はヘンだろうか?

小さい頃に「なんでうるう年なんてあるんだろう」と考えた。
正直、神様のくれたプレゼントなんて話もあったくらいだ。
今では、「地球の自転のスピードが365日で365回転ではないから」
と中学校の理科の授業で学習したから知っている。
なんか、そういうものの理由を知ってしまうと非常にあっけないものだ。
でも、僕自身は理由を知って、ますます地球に興味を持ったのだから、
結果的にはよかったと思う。
今では、宇宙空間が毎時何光年というスピードで広がっていることさえ、
僕の頭にある。科学はすごいものだ。

ただ、そんな僕でも覚えられないことがある。
それは、「うるう年だと2月は何日まであるか」ということ。
とりあえず今年は28日まである。
これはうるう年なのか?はたして違うのか?
去年にオリンピックがあったから、去年がうるう年のような気もするし
もしかしたら今年がうるう年なのかもしれない。

科学が急速に発展し、僕の中にもさまざまな知識が入り込んできた。
でも、これが使えないとなると、本当に無駄なものになってしまう。
知識は使ってこそ、その意義がある。
これは、2月になると、いつも考えることである。


2月5日(月)「卒論発表会」

以前、1月の日記に「卒論を提出した」と書いた気がする。
でも、今度は「卒論発表会」用のレポートを書くのに必死になっている。

僕の担当教官の方針は「卒論は、勉強したことをすべて書きなさい」という。
というわけで、2年間勉強したことをA4で86枚という莫大な枚数書いた。
同じ主張の繰り返しもあるし、いまいち論の展開がパッとしない。
しかし「卒論発表会は、自分のいいたいことをしっかりとまとめること」という。
しかも、86枚の卒論を、「20000文字以内」というA412〜14枚くらいに
まとめなくてはいけない。
論の展開も重視されるし、結局自分が言いたいことは何なのかを厳しく問われる。
ただ、短くするのでは「発表会」は成立しないのである。

さて、その卒論発表会用のレポート。
実は現在ほとんどまとまりきれていない。
書こうと思うと長くなり、どうもいまいちである。

残りあと3日。さて、どうしようか?


2月6日(火)「悩む」

まだ、卒論発表会の原稿がまとまらない。
たかだか「卒論発表会」ではあるが、それが非常に難しい。

こんなに悩んだのは、いつ以来であろう。
作家に「筆が進まない」という苦悩があると聞くが、
今の僕がその気分だ。
ある人が「天才以外の人間にはスランプはない」といったが、
正直、「僕は天才か」と思うくらいにスランプ状態である。

僕はあんまり「頑張る」という表現が好きではない。
なんか「頑張る」という言葉には、できもしないのに無理してやっている
イタイタしいというイメージが付きまとうからだ。
でも、今回ばかりは「頑張ら」ざるを得ない。

う〜ん、辛いけど、とりあえず頑張ろう。


2月7日(木)「卒業決定・・・かなぁ?」

卒業決定!!
今日の卒論発表会と同時に、大学生活のすべてのお勉強が終わりました!!
ふ〜ん、長かったようで短かった感じですかね。
こんなに勉強した2年間は、人生で初ですね。
そうですね。
僕が本格的に勉強したのは、後半の2年間だけですから。

なにはともあれ、あとは履修単位のミスがなければ卒業できます。
でも、意外にそういうミスする人って多いんですよね。
1単位足りないとか、履修規定と違う選択しているとか・・・
僕に限って、そんなことはないと思いますが、とりあえず
2月末までまって、もう一度「卒業決定」報告をしたいと思います。

さて、明日はあと4人の「卒論発表会」があって、その後は飲み会。
このゼミのメンバーと「学生」として会うのもあとわずかだし、
明日はパッと飲み明かしますか!!


2月12日(月)「長崎から@」

卒業論文提出も終わり暇ができたので、長崎2泊3日へ出かけました。
長崎は僕の敬愛する天才歌手「さだまさし」が生まれたところ、
また異国情緒あふれる街であると同時に、世界で2つめの被爆都市です。
というわけで、さだまさしの夏のコンサート「長崎から」をバックに、そのレポートを
ここに記します。

まず、第1日目は長崎市内、特に東と北側を中心に見学しました。
その交通の手段となったのが、今は懐かしい「路面電車」です。
車内の説明に拠れば、今走っている路線は大正時代にできたということ。
もちろん、その車体の改造は何度も経験していますが、それでも
すごく歴史の香りのする列車でした。
現在でも、市民の貴重な足として十分な機能を果たしています。

驚くのはその乗車料。
1回乗るのに、たった100円しかかからない。
都営三田線の初乗り料金が170円です。この値段にはビックリ。
僕の場合、観光目的で複数回乗車するために、1日乗車券というのを買いました。
これも、たった500円しかかからない。
都営三田線の1日乗車券が700円です。この値段にもビックリ。
(どうして、都営三田線と比べるのか、お分かりですか?)
それで、十分に市内観光を楽しめるのですから、安くておいしいとは、
こういうことをさすのでしょう。

市民の足として、観光の手段として大活躍の路面電車。
いつまでも、いくら古くなっても、長崎の街を走りつづけて欲しいものです。


2月13日(火)「長崎からA」

長崎を語る上で、やっぱり外せないのが「原爆」です。
これが長崎の歴史上最大の出来事であり、また未来への課題でもあるのです。
今日は原爆資料館で得た話を中心に。

1945年8月9日、午前11時2分、長崎市の上空で一発の原子爆弾が炸裂した。
この一撃により、長崎の街は一瞬にして廃墟と化したのである。
何万という人がその瞬間的な熱風により「抹殺」され、
長崎に存在した多くの建物が、その原型をとどめることなく崩壊した。
その貴重な資料が、原爆資料館に飾られている。

しかし、皮肉なものだ。
原爆投下の第1目標は、福岡県小倉市だった。
でも、たまたま小倉上空が雲に隠れていたために、目標が長崎に変更された。
その結果が以上の惨状である。
また、アメリカは原爆実験を焦っていた。
戦後の世界情勢をリードするためには、もうひとつの超大国であるソ連に
核兵器という分野で対抗する必要があった。
そして、その世界で初の原爆実験として、瀕死の状態であった日本に原爆を2発
落としたのは紛れもない事実である。
その根拠は、戦後に長崎と広島に入ったアメリカ軍事・医学界の資料が
いまだに未公開であることからもわかる。

そして、原爆は戦後にも続く。
原爆後遺症と呼ばれる「症状」が、多くの人を悩ませた。
被爆10日前後の皮膚のただれに始まり、10年20年後には
「無脳症」とよばれる障害をもつこどもたちが数多く誕生する。
そして、今でも放射線の影響による「癌」の発病者はあとをたたない。

正直なところ、21世紀を生きる僕らには原爆はわからない。
すでに歴史上のある1つのできごとになっている。
被爆国としてのプライドとか、戦争に対する危機感なんてクソくらえだ。
ただ、これだけは忘れてはならない。
「いまだに原爆は続いている」という現実を。


2月14日(水)「長崎からB」

「日本三大夜景」というのが、あるそうだ。
それは、函館、長崎、・・・・・・とあとひとつ(たしか神戸だったような)。
まあ、とにかく長崎の街は三大夜景のひとつに選ばれているほど
名の知れた、有名な夜景であるらしい。
とくに、長崎市の西側にある「稲佐山」からの夜景は、絶景と呼ばれている。
その観光客のために、わざわざ稲佐山にロープウェイがひかれ、夜の9時過ぎまで
運行されているのだから、よっぽどの観光名所なのだろう。

そして、3日目。ついに、この稲佐山に登った。
もちろん、昼に。
それでも、それはそれで絶景だった。
一面に街と海が広がり、その複雑に絡み合った関係性が素晴らしかった。
江戸時代を通して、唯一の外国との接点であった長崎の歴史を物語る。
出島はもう浮島ではなくなってしまったが、その心意気だけは今もまだ現存する。

もちろん、夜景をみれば違う感想をもったかもしれない。
ただ、長崎が長崎として成立する理由。
それは、長崎が日本三大夜景のひとつだからではなく、また世界で2つめの被爆都市
であるからだからではないのだろう。
それは、きっと長崎という街が生まれて以来長期間にわたってつちかってきた、
「海と人」の素晴らしい関係が、この街を成立させているのである。


2月16日(金)「アンブレイカブル」

今日、話題の映画「アンブレイカブル」をみた。
あの名作「シックス・センス」を作り上げた製作陣が、再度集結して撮影した
超話題作だ。

率直な感想。
Very Goodでしょう。
ストーリーといい、撮影技術といい、やっぱりいいモノもってますわね。
そして何よりも、サミュエル・L・ジャクソンがいい。
そうねぇ、味があるね、やっぱり。
こういう役者がいいね。僕自身のなかでは、とってもGood役者だね、彼は。
まだ、見てない人もいるから内容は明かせないけど、この作品での
サミュエルの演技はキーポイントだから、大注目だね。
やっぱり、全作同様に大逆転もあったしね。

なんだか、僕の大感想会になっちゃったけど、まだ見ていない人。
お勧め、お勧め、この映画をきっちり見てね。