8月6日(日)「社会調査実習」

※この日記に一部に差別用語が登場するが、これは筆者が悪意をもって
 書いたのではないことを、先に述べておく。

昨日と今日という1泊2日の日程で、栃木県のある町を訪れた。
これは、大学の授業「社会調査法」という授業の一環で、被差別部落を訪れて
現地の当事者に聞き取り調査を行うという合宿である。

被差別部落。もしくは、同和。
この言葉を聞いてどんな印象をもつだろうか?
東京に住んでいれば、おそらくほとんど耳にすることはない。
一方で京都・大阪・福岡地方の人で、聞いたことがない人などほぼいないだろう。

簡略化して説明することは、差別の助長につながる可能性があるため、できるだけ
避けるべきなのであろうが、ここではあえて軽く説明したい。
歴史の教科書によれば、江戸時代に徳川幕府は士農工商という身分制度を作った
ことは周知のことでないだろうか。
また、その身分制度の下に、「エタ」「ヒニン」と呼ばれる下級身分を作ったのも同様だ。
そして、時代が下り明治時代になり、身分制度が撤廃され、日本国民は平等に
扱われることになっていた。
にもかかわらず、以前に「エタ」「ヒニン」と呼ばれた人々たちは差別され、人の嫌がる
仕事しかつけずに、また極貧の生活をおくることになった。
ただ、彼ら/彼女らが被差別部落に生まれただけで・・・
この差別されるという状況は、戦後になってもかわらず、現在でも日本の差別問題として
しっかりと残っている。
なぜ、部落出身者は差別されるのか?
その根拠はまったくない。というか、その根拠がないからこそ、差別なのだ。
何度もいうように、ただ、彼ら/彼女らが被差別部落に生まれただけで・・・

部落差別。
「あおんなのもう昔の話だ、今はもうない」と言う人、思っている人は多い。
だが、深く人間の心に着実に差別は残っている。
ある状況になれば、なぜそれは一気に表面化する。
例えば、結婚。
日本中に興信所や探偵事務所があり、結婚する前に親戚に部落出身者がいないか
必死に調べる人々がいる。
もし、親戚にいれば、直接的に「部落だから」とはいわず、「方向がわるい」とか何かと理由
をつけて結婚を止めるように説得する。
特にこの傾向は地方に強いという。
例えば、就職。
僕の場合もそうだけど、内定の合格前には、絶対に身内調査が入っている。
その身内調査に合格したものだけが、内定を受け取れるという事実は間違いない。

今でも、しっかりと残りつづける差別意識。
今回、直接、被差別部落出身者にお話を聞かせていただいたことで、
この問題を少しは現実的にとらえることができるようになった。
話の途中には、当事者でない僕が、あまりのくやしさに涙が出そうになる。

日本は平和な国だという。
日本は住みやすい国だという。
本当にそうなのか?本当に、本当にそうなのか?
みなさんも少し考えてみて欲しい
「私は関係ない」と思っている人。
あなたが一番差別する可能性があるのだから。


8月7日(月)「青木勇人という男」

昨日、オリックス×西武戦で、プロ入り初セーブを上げた男がいる。
青木勇人。22歳。
今シーズン、ドラフト6位で西武に入団した選手だ。

いう選手の経歴を調べていたら、驚くべき事実に当たった。
それは、彼は1977年生まれで修徳高校軟式野球部出身。
つまり、僕と同い年。
そして、僕らが秋の新人戦の準々決勝で1−4で負けた相手が修徳高校なんです。
え、じゃ、対戦しているんじゃん!!

そこでスコアを調べてみると・・・いました!!
平成6年 9月25日(日)上井草球場 秋季大会
ピッチャーに青木。しかも4番。
うちのエースから、バントヒットと、左翼三塁打打ってる。
当日は、前日の雨の影響で、グランド状態が最悪だったことは覚えています。
絶対中止と思っていたら、試合開始前に雨がやんで試合開始。
あれよあれよという間に試合は進行し、終わってみれば1−4の負け。
そんな試合内容だったような気がします。

彼は、その後同志社大学の準硬式野球部で、39勝をあげる大活躍。
そして、プロ野球としては珍しい、硬式を握ったことのないドラフト
選手として、今シーズンから西武に入団したんです。

意外ですね。
片や西武のストッパー。片や、インチキ大学生。
ああ、サインもらっておけばよかったなあ!!

8月10日(木)「笑顔のマッチョ男」

今日、朝のワイドショーを見ていたら驚いた。
あの「マッスル北村」が減量苦が原因で死亡したというのだ。

みなさんは、おそらく「マッスル北村」という名前を聞いても、「誰?」という印象だろう。
でも、彼の映像を見ればすぐに分かるはずだ。
彼は世界ボディービルディングチャンピオンという肩書きを持つ、生粋のマッチョ男で、
いつも笑顔を振り撒きながら、大胸筋をピクピクと動かしていた男だ。
テレビにも頻繁に登場し、毎回、ボディービルディング大会の告知をしていた。
しかも、東大出身という異例の学歴を持ち合わせているところに、マスコミは騒ぎ立て、
瞬く間に人気者になっていた。

彼は、日本人という肉体的ハンディを持ちながら、世界チャンピオンに輝いた。
そのボディービルディングに対するストイックなまでの姿勢は熾烈を極めた。
今回の死亡事件も、世界大会に向けての調整中の出来事だったという。

ところが、ところがである。
彼の魅力はそこにあったのではない。
彼の魅力といえば、そのストイックな生活に反比例するかのように、テレビの前では、
いつも素晴らしい笑顔を見せてくれたことだ。
どんなことを言われても、どんなことをされても、いつも彼は笑顔だった。
実際、私が板橋の「スカイラーク」でお会いした時も、優しく微笑みかけてくれた。
その笑顔に、多くの人々の心が吸い込まれたに違いない。
それほど、魅力的な笑顔だった。

マッスル北村が見せてくれた、ストイックな生活と魅力的な笑顔。
彼は、現代人が忘れがちな「つらい時にでも笑顔を忘れずに」という、人生を明るく生きる法則を、
私たちに再び投げかけているのかもしれない。

8月11日(金)「これも経費削減?」

今日、バイトを終えて、JR京浜東北線の関内駅から電車に乗った。
ちょうど、横浜−ヤクルト戦が終わったばかりで、野球を観戦した人たちで車内は
うるさいほど賑やかだった。
その中で、ぼそぼそとみんなが声を殺しながらささやいていた。
「なんだよ、うるせいなあ」と思いながら、周りの人々の声を聞いているとみんな口
をあわせたように「ぺた」「ぺた」「ぺた」と言っている。
「なんだよ、ぺたって?」とみんなが注目している方向をみると、そこに・・・
いたんですよ、ぺタジーニが!!「おい、ぺタジーニじゃん!」
「おい、お前今までグランドにいたんじゃねえの?」と思いながらも、僕はプロっぽく
冷静を装って、しっかりと凝視していました。
その後、彼は横浜駅で降りて、僕と一緒に東海道本線のホームへと消えてきました。

でも、その後、冷静になって考えてみたんですよね。
おい、おかしくねえか?
だって、ぺタジーニといえば、昨年のセ・リーグ本塁打王だぜ。
しかも、年棒は推定2億円の選手ですよ。
それが、なんで試合後に京浜東北線なんかに乗ってんだよ。
ヤクルト球団!!もっと、外人選手を大切にしてやれよ!!
せめて、東京のマンションに帰るためにタクシー代くらい出してやれよ!!
これも、やはり昨年のヤクルト本社幹部による資金使い込み事件によって起こった
経営危機による「経費削減策」の1つなのか?
なんか、寂しくなってくるよね。
でも、東海道本線の座席がグリーン車だったことが、唯一の救いなのかなあ。

あれ、そう思えば、いつも一緒にいるはずの噂の年上夫人「オルガ夫人」が隣に
いなかったぞ!?
もしかして、夫婦の危機なのか?
どんなことにもくじけずに、がんばれぺタジーニ!!

8月15日(火)「毎年お盆に思うこと」

 今年の帰省ラッシュは、例年と比べ分散化傾向にあり、さほどの交通渋滞は
心配されていない。
また、新幹線・航空機のほうも、それほどの混雑になることもなさそうだ。
不景気のせいか、海外脱出者もかなりの減少傾向になり、「今年のお盆は実家で」
という考える人々も多いようである。

 だけど、僕はお盆の時期になると、毎年思うことがある。
それは「お盆なんてなければいいのに・・・」ということだ。
だって、いなかや実家のある人はいいよ、帰るところがあって。
でも、両親とも東京生まれの僕には、お盆の時期になっても行くところがない。
別に母親の実家にはいつでもいけるし、先祖のねむる墓地も近くにあるわけで、わざ
わざこの時期に墓参りする必要なんてない。
だからって、大渋滞した中を、なんの目的もなくお出かけするほどバカげてない。
結局、家にいることになる。友達は、地元へ戻って楽しんでいるにもかかわらず。
この時期、いなかや実家のない人は寂しい思いをするだけなんだよなぁ。

 確かに、実家から学校に通っていると、本当に「楽」な部分が多いと思う。
ご飯は勝手に出てくるし、昔からの友達といつでも会える。生活費を気にすることもない。
下宿して学校に来ている人に比べたら、全然といっていいほど日常生活で苦労することない。
もちろん、何かつらいことがあれば、いつでもどこでもいろんな人たちに相談できる。
一人ぼっちで寂しい思いをすることもない。
でも、お盆の時期だけはこれが大逆転して、寂しいばかりなんだよね、僕たちは。

う〜ん、この矛盾。
どうにかならないかなあ?